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岩見沢にはアイヌコタンが3つあった

 明治時代に開拓の鍬が入る前の岩見沢については、あまり知られていません。それ以前に資料があまりありません。岩見沢の地は原生林に覆われていたといわれています。ところで、江戸時代には、岩見沢にアイヌコタンが3か所あったという研究結果が、2009年8月10日の岩見沢新聞で明らかにされました。

 調査結果によると、間宮林蔵が北海道探検をした際、江戸時代の1817年に作成した「蝦夷島内陸図」の調査で判明。この地図には現在の岩見沢地域も書かれており、間宮林蔵が岩見沢も探検したことも判明しています。

 この地図などを用いた研究結果では、岩見沢にアイヌ語地名が多く、市内では現在の幌向、中幌向町、栗沢町栗丘の3か所にアイヌコタンがあったことも判明したとしています。


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