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なぜ中央通りが東西の起点になっているのか



 岩見沢駅前通りは事実上岩見沢駅前の通りですが、この通りを起点に東西の条・丁目がふられているわけではありません。それよりも東側にある中央通りが東西の起点になっています。なぜそのようになっているのでしょうか。岩見沢の道路の成り立ちの歴史から、その答えが分かります。

 まず1880年代に札幌方面から美唄方向へ通じる中央道路の建設が行われました。その後に元町付近に街並みが形成されていくわけですが、1884年に岩見沢駅が開設されたのが、現在の元町陸橋(人道橋)のところでした。現在の岩見沢駅の位置よりも美唄寄りであったわけです。

 その後、1890年に夕張に通じる「夕張道路」が開通しました。その区間のほとんどは現在の道道38号線夕張岩見沢線で、岩見沢市中心部においては現在の「中央通り」(夕張通り)がこの道路でした。

 夕張炭鉱の物資は岩見沢駅から運送されたので、この駅前から続く「中央通り」は重要な交通道路でした。それで駅北側の元町だけでなく、南側の「中央通り」沿いにも、商店が並びました。

 しかし、1892年に岩見沢駅は現在地に移転しました。それに伴って、市街地は西側に形成され始めます。大正時代の1916年の地図を見ると、岩見沢の市街地の形成は、現在の中央通りと岩見沢駅前通りの間に広がっていくようになりました。

 そのようなわけで、「中央通り」はかつての「駅前通り」であったわけで、条丁目の基準となったのもうなずけます。現在の「駅前通り」は、新・駅前通り(といっても明治時代の話ですが)といえるでしょう。
作成 : 2009/07/22 23:04
タグ : 中央通り,元町,夕張市,夕張通り,夕張道路,岩見沢駅
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