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本社があった岩見沢



 幌内鉄道運営や鉄路を砂川・歌志内へ延伸させたのは北海道炭礦鉄道(北炭)です(最初7年ほどは官営事業でしたが払い下げられました)。北炭は、岩見沢が道内鉄道網の中心地へと移り変わっていくにつれて、岩見沢を鉄道の集積地にふさわしい場所へと変えていきました。

 まず手始めに、1899年に岩見沢駅近くに鉄道工場を建設しました。1903年には、当時札幌に北炭本社を置いていたのですが、岩見沢を本社にするべく、本社移転を果たしました。(その名残として現在のレールセンターがあり、建物に北炭のマークがつけられています)



 しかし、1906年には北炭の経営から国有化へ変更されたため、社名が北海道炭鉱汽船株式会社となり、本社も岩見沢から室蘭に移転してしまいました。北海道鉄道管理局岩見沢工場となった鉄道工場も、工業用水の確保が困難なため、1907年に札幌苗穂に移転してしまいました。

 それでも、わずか3年間、岩見沢に鉄道会社の本社がおかれた時期がありました。これは岩見沢の発展に大きな影響を与えました。ちょうどそのころ1907年には人口が約2万人に急成長しており、岩見沢村が岩見沢町へ町制施行することになったのです。
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